【総括】4泊7日のウガンダ訪問記。現地で得た最大の学び。

こんにちは、ゆいです。

先日、4泊7日でアフリカ、ウガンダの教育施設の視察ツアーに参加してきました。

マジで世界の見え方が変わりました。学びしかなかった。

今回は、ウガンダの小学校や職業訓練所、孤児院などの教育施設をまわり、現地の人たちと話して感じた学びをシェアしたいと思います。

きっと、「自分ももっとやれる!」って勇気が湧いてくるんじゃないかな。

ぜひ最後まで読んでみてください。

 

目次

アフリカの真珠・ウガンダ

まず、ウガンダについて簡単に説明しますね。

ウガンダは、アフリカ東部に位置する内陸国。

外務省HPより引用

1962年にイギリスの植民地支配から独立。日本の本州とほぼ同じ大きさで、人口は約4700万人。

赤道直下にありますが、標高が高いので、気候は過ごしやすく緑が豊かで赤土が美しい土地です。自然が豊かで「アフリカの真珠」とも言われています。

(痩せてお腹の出た子どもたちが、干からびた土地で何時間も歩いて水汲みをしている、みたいな日本人がアフリカと聞いてよくイメージする感じではありません)

産業は農業がメインでコーヒー豆やカカオ豆など、国民の8割が農業に従事しています(地方に行くとほぼ自給自足)。

宗教は約8割がキリスト教。

首都カンパラなど都市部は比較的発展していて、買い物にも不便なく高層ビルもありますが、地方の僻地では餓死者が出るほど貧富の差もあります。

ウガンダは、世界一難民に寛容な国で、約150万人の難民を近隣国から受け入れています。

 

ウガンダの社会問題は、貧困、水衛生、教育等色々ありますが、イギリスの分断統治によって生まれた内紛による「少年兵」の問題があります。

NPO法人 テラ・ルネッサンスの公式サイトより引用

イギリスは、ウガンダの人々が結束してイギリスに向かってこないよう、ウガンダ北部と南部を分断統治し、南部の人たちを優遇する政策を取りました。

そのため、ウガンダでは政府軍と半政府軍による内乱が約20年にわたって続いていました。

この内紛で、北部の反政府軍(神の抵抗軍)が、村を襲撃して子ども達を拉致・誘拐し、無理矢理兵士にする問題が発生

世界には約25万人の子ども兵がいると言われていて、ウガンダの内紛で反政府軍によって兵士にされた子ども兵は、1986年以降6万6000人に上ると言われています。

職業訓練施設で出会った元少年兵・少女兵の人たち

今回訪問した職業訓練施設は、元少年兵・少女兵の人たちに洋裁や刺繍・家具制作やバイク修理などを教えて自立支援をしている学校です。

学校支援をしている財団、NPOの方達と一緒に施設を訪問したときの様子。

学校の入口前から、施設で学んでいる元少年兵・少女兵の方たちが、歌とダンスで大歓迎してくれました。

現地の人たちから伝わる、圧倒的感謝のエネルギー。

訓練所を作ってくれてありがとう!!

あなた達を歓迎できることが嬉しい!!

一言も言葉を交わしてないのに、そんな気持ちが全身にビリビリ伝わってきて、私が寄付した訳でもないのに、涙が止まらなくなりました。

人間って、言葉がなくても伝わるんだよね。

 

「寄付者が来るから、セレモニー的にパフォーマンスするんでしょ」

と、半分斜めに構えていた私の予想は、施設に足を踏み入れた瞬間に、見事にひっくり返されました。

 

この人たちは、寄付者が訪問するからやらされてる訳じゃなくて、本当に心から感謝して歓迎してくれているんだ

ということが、痛いくらい伝わりました。

それにしても、物凄いパワーとエネルギー。

弾ける笑顔がまぶしかった。

生きることに必死で豊かとはいえない生活。信じられないくらいつらい経験をしてきたのに、どうしてそんな幸せそうに笑えるの?

どうしてそんなに楽しそうなの?

そう思わずにはいられないくらいの、明るさとエネルギーでした。

 

彼らは、数年前まで少年兵・少女兵として戦闘の前線に送られていた人たちです。

8歳とか13歳といった子どもの頃に反政府軍に誘拐されて兵士にされ、数年〜10年近く兵士として戦い、戦闘のどさくさに紛れて逃げ出したり、戦闘で負傷して取り残されたときに保護されたりして、運良く逃げ帰ってきた人達です。

そのほとんどは、何日も飲まず食わずで衰弱していたり、数十キロの道のりを裸足で歩き続けて足がボロボロになっていたりする状態で保護されています。

歓迎の歌とダンスを披露してくれた人たちの半分も、実際に身体に銃弾や武器の破片を受けている。

「僕は大好きなお母さんの腕を切り落としてしまったんだ」

部隊にいた子ども兵たちは、想像を絶する経験をしています。

大人の兵士に逆らう力のない子ども兵は、大人にとって使い勝手の良いモノとして使われてしまう。

たとえば、大人の兵士の盾として銃弾が飛び交う前線で戦わされたり

地雷がない安全ルートを探すために地雷原を歩かされたり

重い荷物や食料を持って何十キロも歩かされたり。

大人の兵士と強制結婚させられて産まれた赤ちゃんを背負って部隊で働き、衰弱して歩けなくなったら射殺されたり(敵に情報を漏らさないため)。

うっかり「疲れた…」と口にしたら、銃器で殴られたり、リップカットと言って唇を切り落とされて見せしめにされたり。

 

今の日本では考えられない。

そんなの人間のやることじゃない。

でも、彼らは実際にそれを経験してきている。

何百人もの仲間が殺されたり、衰弱して死んでいくのを目の当たりにしながら。

 

さらに言葉を失ったのは、子どもたちを兵士として洗脳するために、反政府軍がやってきたことの数々。

子どもたちに人を殺めることへのためらいをなくさせるために、子どもたち自身の手で、一番大切な親や親族、友達を殺させるんです。

(家族を殺し、村を焼き払わせれば、子ども兵は帰る場所を失って故郷の村に逃げ帰ろうしなくなる。逃亡を防ぐ目的もあります。)

 

時には、マリファナやアルコール漬けにして、子どもたちを興奮状態にし、

「お前達は神様の与えた薬を飲んだから死なない。行け!戦え!」と戦場に送り込む。

 

運よく逃亡に成功して保護され、職業訓練施設にたどりついた訓練生の人たちは、

「私が生き延びることができたのは、神様が私に、他の人を助ける役目をお与えになったからとしか思えない。

「私の人生最大の成功は、今ここに生きていることです。」

と話していました。

 


これは、ある少年兵が誘拐されたときの、実際の話です。

彼は12歳の頃、隣の村へ行ったお母さんを迎えに行く途中で反政府軍に捕まり、部隊へ連れて行かれました。

数日後、彼は大人の兵士たちに故郷の村に連れて行かれました。

大人の兵士は、彼の母親を銃の先で小突いて、

「この女を殺せ。それができないなら、この女の片腕を切り落とせ。さもなくば、お前もこの女も殺してしまうぞ」

と脅しました。

 

彼は頭が真っ白になりました。

自分と大好きなお母さんの命だけはなんとか助けて欲しい。

そして、気が付いたときには、お母さんの手首が地面に落ちていました。

さらに大人の兵士に棒を持たされて、命令されるままに、お母さんを棒で殴りました。母親が気絶するまで。

結果的に彼のお母さんの命は助かり、彼はそのまま軍隊に連れていかれ、3年間兵士として戦いました。

 

軍隊から逃げ出して故郷に戻ってきた彼が病院でお母さんに会うと、片腕を失ったお母さんはすっかり痩せて元気がありませんでした。

お母さんは、戻ってきた彼に優しく話しかけてくれたけど、その後はもう彼に会ってくれなくなりました。

彼はお母さんを見るとただただ悲しくてつらくて、もう以前のようにお母さんの愛を感じることができなくなってしまった。

「学校に行きたい。でもお金がない。お父さんは病気で働けないし、もう僕には絶望しか残っていない…」

 

***

 

なんだかもう、壮絶すぎて言葉を失いました。

 

私は銃弾を浴びたこともない。

ある日突然襲われて家族皆殺しにされたり、銃を突きつけられて、親や友達を殺せと脅されたこともない。

もしそんな状況になったら、私はどうするんだろう?

考えただけで心が拒否反応を起こして、シャットアウトしようとする。想像すら耐えられそうにない。

でも、今目の前にいるこの人たちは、みんなそういう信じられない経験をしてきている。。

 

元少年兵・少女兵の問題は、あまり注目を浴びることはありません。

でも、彼らは軍隊から戻ってきた後も、社会復帰にとても苦戦します。

命懸けで軍隊から逃げ出してきても、地元のコミュニティに受け入れてもらえず孤立してしまうことも多い。

(ウガンダには、少年兵・少女兵に親や親族、友達を殺されている人も多くいるからです。

今回訪問した施設のスタッフの中にも、父親を少年兵に殺された人がいて、施設で働きながら元少年兵・少女兵と接する中で、少しずつ彼らを許すことができるようになってきた、という話も聞きました。)

人を殺めたり、大切な人を目の前で殺された過酷な経験から心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症したり

子ども時代に学校に行けなかったため、読み書きができず仕事が得られない。

そんな元少年兵・少女兵はウガンダ国内にまだまだたくさんいて、彼らが手に職をつけて社会復帰できるようにするのが、この職業訓練施設です。

(ちなみに、今でもまだ軍隊から帰ることができず、隣国の南スーダンや中央アフリカ、コンゴ民主共和国に潜伏している子ども兵もいます)

この施設の訓練生たちは、洋裁や刺繍デザイン、家具制作、バイク修理などを学び、卒業後は8-9割の人が、一緒に学んだ同級生たちと共同でお店を開業しています。

洋裁の授業の様子

市場で洋裁店を営む卒業生の人たち

 

「知識やスキルは誰にも奪われない。私は子ども達を自分の力で食べさせてあげることができる」

今回の訪問中に、元少年兵・少女兵の方たちと、直接お話させていただく機会がありました。

子どもの頃に誘拐されて少女兵になり、部隊の中で強制結婚させられて赤ちゃんを産み、保護されて施設にきたある女性が、私にこんなことを言いました。

「知識やスキルは誰にも奪われない。

私は子ども達に洋服を作ってあげることができる。子ども達を自分の力で食べさせてあげることができる。

だから、私に知識とスキルを与えてくれて、本当に感謝しています。」

元少女兵は、大人の兵士と強制結婚をさせられて出産していることも多く、子どもがいて働きに行けない。

読み書きも英語もできない。スキルがない。

コミュニティに受け入れてもらえない。

だから体を売って子どもを養わざるを得なかったり、二重、三重、四重の苦労をすることも多い。

 

そんな元少女兵の母親達は、一般的な母親以上に、子どもの教育にお金をかける傾向があるそうです。

たとえ強制結婚で産まれた子どもでも、自分と同じ苦労をさせないために。

どこの国に行っても、母親というのはすごいなと思います。

 

「ビジネスは知識ゲーだよ。人生も知識ゲーだよ」「知っているか、知らないかで人生が変わるよ」と、私も普段から繰り返し言っていて、実際強くそう思っているけれど、

彼女達の言葉は、重みが違いました。

 

想像を絶する過酷な経験をしても、たぶん一生完全には消えないであろう精神的・身体的傷を負っても、他の人への優しさや愛情を失わず、一生懸命生きようとしている元少年兵・少女兵の方たち。

日本のような快適な生活環境もない。

水の衛生状態もよくない。(身体の弱い子どもは5歳まで生き延びられなくて、自然淘汰されてしまう、という話も現地で聞きました。)

ご飯だってお腹いっぱい食べられない。

日本のような温かいふかふかのベッドで眠ったこともない。

怪我や病気をしても、病院も薬もない。(ある学校で出会った5歳くらいの女の子は、脚にひどい怪我をしていて、膿んだ傷にハエがたかっていました)

私はたまたま日本に生まれたというだけで、全財産を失っても死ぬことはないけれど、ここにいる人たちはそうじゃない。

死んじゃうんだよ。

どうしようもないくらいの、圧倒的不平等が目の前にあって。

 

電気のない薄暗い部屋の中で、手元のミシンの小さな灯りを頼りに、一生懸命ミシンを動かす元少女兵たち。

「10日でこんな刺繍が作れるようになったんだよ」と、自分の作品を見せながら笑顔で説明してくれる。

弾けるような笑顔で、楽しそうに歌って踊り、感謝を伝えてくれる。

「学ぶ機会を与えてくれてありがとう」と。

 

本当に頭が下がる思いでした。

学ばせていただいたのはこちらの方です。

こちらこそありがとう。

 

先人から受けた恩を次の世代につなぐ人になりたい。

今回は職業訓練施設の他に、現地の小学校や高校、孤児院、歌やダンスを学ぶコミュニティなど、いろんな場所を訪問して、直接現地の方とお話させていただきました。

訪問先での詳細はこちらにまとめているのでぜひ読んでみてください。

現地の学校や子どもたちの様子、職業訓練施設で学んだ後の卒業生のお店やビジネスの話など、かなりイメージが湧くと思います。

 

今回のウガンダ訪問を通して、一番強烈に湧き上がってきたのは、

ぬるい。ぬるい。ぬるすぎる。

私は一体何をやってたんだ?

という、ヒリヒリするような気持ち。

悔しいような、情けないような、上手く表現できる言葉が見つからないけど、とにかくいろんなものが悔しかった。目の前の圧倒的な不公平も、恵まれた環境でぬるいことしかしてない自分自身も。

 

快適な生活環境。

どんなに失敗しても、全財産失っても絶対に死なない奇跡のような国。

 

そんな恵まれた環境にいながら、

「挑戦するのが怖い」とか

「他人に悪く思われたらどうしよう」とか

「自分には無理なんじゃないか」とか

大してやってもいないくせに、すぐ結果が出ないとへこんだり、悩んだり。

それってぬるいから出来るんだよ。

どんだけ自分のことしか見えてないんだよ。

 

お金も、モノも、学ぶチャンスも、安心して暮らせる環境も、命の保証さえも、

ないものだらけの環境にいる彼らの方が

ずっと明るく前向きに生きてて

与えられたものに感謝してて。

 

私は温かいベッドで眠ることも出来るし、ご飯もお腹いっぱい食べられる。

お風呂に入りたければ、温かいシャワーが24時間使える。

そんな環境にいて、ぬるっちい努力で悩んだりへこんだりできるなんて、いいご身分だよね、私。

挑戦して結果が出ないのが怖い?

他人の目が気になる? 

贅沢病だよ、そんなの。欲張りなんだよ。

ウガンダの人たちは、へこんだり悩んだり鬱になったりしてる余裕なんてないよ。

ぬるいから、余裕があるから、どうでもいいことで悩むんだよ。

自分に対して、そう思わずにはいられませんでした。

 

ウガンダまで片道約22時間。

地球の裏側に行って得たものは、「いかに自分がぬるいか。いかに恵まれた環境でぬくぬくしてるか」という、強烈な気づきでした。

マジで往復ビンタくらった(;;)笑

 

ぬるさを捨てるだけで、もっともっと進化できる。

こんなに恵まれた環境にいるんだから、

もっと幸せの感度を上げて、

与えられたものに感謝して、

自分にできることを最大限やっていきたいと思いました。

 

私は、一生かかっても返しきれないくらいのものを、既にいろんな人から与えてもらってきたし、

たまたま日本人に生まれたというだけで、先人たちのおかげで随分得をしてきたので(海外に行くと本当に感じる)

先人から受けた恩を、次の世代につないでいける人になりたいなと思いました。

とりあえず100万円、現地に寄付させていただきました。

これで現地に1つ学校が建てられる。

今回は滞在中に、卒業生のお店の収益をもっと伸ばすためにどうしたらいいのかとか、認知を広げて寄付金を集めるにはどうしたらいいかとか、NPOの方とそんな話もさせてもらいました。(国が変わっても基本は一緒なので)

自分が学んだ知識が誰かの役に立つのは、やっぱりすごく嬉しかった。

次は現地の人に、ビジネスやマーケティングやセールスを教えるのもいいな。

 

知識を学べば学ぶほど、出来ることが増える。もちろんお金も稼げるし、人の役に立てる。

今ここに生きていて、学んだり挑戦したりできることが、どれだけ奇跡のように有難いことか。

それを、ウガンダの人たちにあらためて教えてもらいました。

 

今までは、家族や友達やクライアントさんなど、自分の身近な大切な人を幸せにできればいいと思っていたけど、今回ウガンダを訪問して、応援したい人が増えました。

だから、もっともっと実力をつけていきたい。もっとビジネスも出来るようになりたい。

ここには書ききれないくらい、本当に密度が濃い経験をさせてもらったし、ツアーでご一緒した方々も、本当に視座が高くて素敵な方ばかりでした。

お金を稼いでドヤっているだけの経営者に1ミリも興味はないけど、圧倒的努力で事業を作ってお金を稼いで、その上で、ひたすら他の人に与えることを一生懸命考えている人たちは、本当に一緒にいて学ぶことだらけでした。

(ツアーでご一緒した成功者の方々は、本当に誰よりも泥臭く圧倒的にやることやってました。「やりたいことのために、どれだけ嫌なこともやれるかだよね」という話も超共感したし、それだけやっていながら「自分ぬるかったわ」と言える人格に敬意しかなかった。)

私もこんな人間になりたい。

本当に「百聞は一見に如かず」。

日本の人みんなにぜひ一度現地に行って見てきて欲しいです。きっとすごく元気と勇気がもらえると思うから。

良い経験でした。

長くなってきたので今回はこの辺にしておきます。

ウガンダ訪問記の詳細もぜひ読んでみてください。

 

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