ブログの理念と著者プロフィール

はじめまして、ゆいです。

私は今、都内でフリーランスとして
マーケティングの仕事をしています。

化粧品会社や飲食店のコンサルティングをしたり、
最近はインフルエンサーのプロデュースもしています。

 

色々な国に行って現地の人と交流することが大好きで、
これまで訪問した国は30ヵ国以上。

前職では大手総合商社に勤めていて、
約2年間海外で単身赴任も経験しました。

 

会社を退職後は、

世界1周チケットで、1ヶ月半の海外旅行に行きました。
行き先は、オーストリア、イスラエル、ポルトガル、アメリカ。

 

一番面白かったのは、
イスラエルのエメラルドグリーンのビーチで
現地の人とビーチバレーをしたこと。

エルサレムの路地裏の人気のバルで、
現地の人と一緒にお酒を飲みながら色んな話をしたこと。

ポルトガル東部の山脈で農家に泊まって、
農家の人と一緒にチーズ作りをしたのも最高だったな。

 

旅行から帰国後は、
ウェブ系の会社を3社経営する年収3億円の実業家に弟子入りし、
ウェブマーケティングを学びました。

今年から始めたブログは、1ヶ月半で5万円の収益を達成。

2ヶ月目からは
法人のマーケティングのコンサルも始めました。

今はマーケティングの知識を生かして、
自分のペースで仕事をしたり、
自由に好きなことをする生活をしています。  

 

箇条書きで私の日常を紹介します。

✔︎  好きな時間に起きてカフェで朝食を食べながら仕事をしたり、ふらっと旅行に出かけたりする。

✔︎  ウェブマーケティングの専門家として、クライアント企業の販売戦略を考え、一緒に仕組み作りをするのが楽しい。

✔︎  年収数億を稼ぐ20代の経営者や実業家と出会い、世界の広さを知る。

✔︎  年収数千万〜数億の経営者仲間がたくさん出来、切磋琢磨しながら一緒に学んで上を目指すのが楽しい。

✔︎  好きな時に、美味しいごはんを食べに行く。時には北海道や九州まで足を伸ばすことも。

✔︎  月に20冊以上本を読む。知識がどんどん増えていくのが楽しい。

✔︎  独立してから知り合いが増え、仕事でも新しいチャレンジができて毎日ワクワクする。

 

などなど、 これが独立して、

インターネットビジネスを学んでからの、
私の当たり前の世界になりました。

会社を辞める前の私からは想像できないような、
出会いや学びがたくさんあります。

 

私はもともと
インターネットのビジネスに関する知識は皆無でした。

ブログはおろか、
「Twitterって何を呟いたらいいの?」という状態。
SNSの使い方すらよく分からない。

でも、正しい知識を学んで勉強していったからこそ、
自由な人生を実現することができました。

 

今でこそ刺激的で楽しい毎日を過ごしていますが、
私はもともと自分に自信がなく、
これまでの人生のほとんどの時間を、
ずっとお金に縛られて生きてきました。

 

鈍臭くて、何をやっても人並み以下。
人見知りで人前で話すのも苦手だし、
勉強も運動も苦手。

そして、

あまりお金がない家庭で育ったので
お金を理由にやりたいことを諦めることが
当たり前だと思っていました。

 

そんな人生が嫌で、
経済的に自立したくて
商社を目指した部分もあります。

 

このブログのコンセプトは、人が心から楽しめるきっかけを作ること

読んで下さった人の人生が、
少しでも豊かで楽しくなることを
目指して情報発信をしています。

豊かで楽しい人生を作っていくために必要なのは、

金銭的自由

時間的自由

身体的自由

精神的自由

の、4つの自由度を上げていくこと。

人生において、この4つは密接な関係があります。

 

例えば、
生きていくためにはお金が必要ですが、
そのためには働かないといけないので、
時間も精神的な余裕もなくなります。

逆に、お金があれば、
この二つの問題は解決されます。

お金があることは、
自信と心の余裕にもつながります。

 

自分で労働しなくても
お金を生み出す仕組みを作る方法が分かっていて、

いつでも自分の力でお金を稼ぐことが出来る状態になれば、
心の余裕も生まれて人にも優しくなれるし、
時間の余裕も生まれます。

 

もし身体の調子が悪くなっても、
お金があれば適切な治療も出来るし、
健康のためにジムや整体に行ったりして、
メンテナンスもできます。

 

この4つは密接に関わっていて、
自分で稼ぐ力を身につけて
金銭的自由度を上げることで、
他の自由度も上げることができます。

 

このブログでは、

私が自分で経験したり、
尊敬する経営者から学んだ、

本当の意味で人生を豊かにしていく方法
(時間を増やしたり、成長スピードを上げたり、健康になる方法など)

について発信していきます

 

このブログを読んで頂く上で、
私の過去の経歴を共有しておくと、
よりブログの内容を理解しやすくなると思います。

なので、私の過去の経歴と、
このブログで目指すものについて共有させてください。

 

—–ゆいの物語—–

私は、小学校、中学校、高校、大学、商社時代まで、
常に自信が持てず、お金に縛られて生きてきました。

 

目次

小学生〜運動神経が悪くて友達にいじめられる

 

子供の頃の私は、人見知りで大人しく、
運動神経が壊滅的に悪かったことで、
強烈なコンプレックスを抱えていました。

小中学校の時の50メートル走の記録は、
いつもクラスで最下位から3番目以内。

何をやってもどんくさくて、
あっと言う間にクラスの中で

「ゆい=どんくさい奴」というポジションが確立された。

 

一番辛かったのは、
小学校から高校まで毎年あった球技大会。

「おいー!またゆいかよ!」

「球技大会当日は、風邪で学校休むんでしょ?」

どんなに練習しても、
下手すぎてみんなの足を引っ張ってしまう。
それが原因で、クラスの男子からもいじめられた。

学校の帰りに、
「もう学校来るなよ」と言われて、
石を投げられたこともある。

 

つらかった。悔しかった。

なんで私はこんな出来損ないなんだろう。

毎日肩身が狭くて居場所のない学校に行くのが苦痛だった。

 

「もう学校に行きたくない」

球技大会が1週間後にせまったある日、
母親にポツリと言うと、涙が止まらなくなった。

元バレー部の母親が、ボールを買ってきてくれて
一緒に特訓したけれど、
それでも結果は出なかった。

 

「おいー!またゆいかよー!
 ボール見えねーの?もう学校来るなよー!」

「ごめん!!!!」

 

自分のことも、人のことも大嫌いだった。

同時に、

「他の人が当たり前にできることが、自分にはできない」

という現実にすっかり自信を失った。

 

こんな小学校時代だったから、
強烈なコンプレックスを抱えた、
人間不信の子供が出来上がった。

悔しいけど、
クラス内でのみんなの評価を
ひっくり返せるほどの取り柄もない。

 

私はとにかく目立たないこと、
人にバカにされないことを最優先に、
まわりに合わせながら生きていた。

 

小中高とそんなことを続けていたら、
無個性で型にはまったつまらない人間が出来上がった。

 

中学生・高校生〜二言目には「お金がないからダメ」と言われる家庭。

 

うちは、
両親に何かやりたいことをお願いすると、
二言目には「お金がないからダメ」と言われる家庭だった。

お金の話は子供の時からタブーだった。

「お父さんとお母さんは、どうやってお給料をもらっているの?」

「お給料ってどのくらいもらえるの?」

と聞くと、

「子供はお金のことなんて知らなくていいの。」

と叱られた。

 

友達から家族でスキーに行った話を聞いて羨ましくて、

「お母さん、私もスキーに行ってみたい。

ここなら車で1時間半で行けるよ。」

とお願いしても。

「ここに新しいお店が出来たんだって。今度行ってみようよ」

と言っても。

返ってくる言葉はいつも

「お金がないからダメ。」だった。

 

両親は、お金のことで度々喧嘩をしていた。

最後は父親が「誰の金で飯食っとるんや」
という捨て台詞を残して出ていき、

母親が「経済力がないと女は惨めだ」
と言って台所で泣いているのが、
お決まりのパターンだった。

 

子供心に悲しかった。

詳しいことは分からないけど、
どうやらうちはあまりお金がないらしい。

お金がないと、やりたいことも出来ないし、
両親は喧嘩するし、貧乏って最悪だな

と思っていた。

 

高校3年生の夏には、
「塾に行かせて欲しい」と言ったことが
原因で親と大げんかになった。

私は、地元に自分の居場所を見つけられなかった。
特に楽しいこともなくて、毎日退屈だった。

だからこそ、どうしても東京の大学に行きたかった。

まわりの友達がみんな塾に通うようになり、
不安と焦りを感じていた。

「お母さん、勉強頑張るから、
 塾に行かせて欲しいんだけど。」

恐る恐る母親に、
塾の無料体験授業でもらってきた
パンフレットを見せると、

「うちのどこにこんな大金があるの?
 勉強は学校の先生に聞きなさい。」

と一蹴された。

 

「世の中のほとんどの人は、
 お金っていう才能に恵まれなくて、
 みんな夢を諦めていくのよ。」

この言葉を、母はよく口にしていた。

(お金って才能なの?

 じゃあ、お金持ちの家に生まれなかった人は、
 一生やりたいことも出来ず、毎日節約して、
 色んなものを諦めながら生きていかないといけないの?

 そんな人生冗談じゃない。
 私は絶対自分の力で稼げるようになってやる。)

結局塾は諦め、
悔しい気持ちを原動力に必死で勉強して、
なんとか東京の大学に進学した。

 

大学時代〜海外留学で世界の広さを知り、商社を目指す

 

私は中学生の時から、
海外へ留学に行ってみたかった。

自分が知らない広い世界を見てみたかったし、
海外で外国人として生活する、
という経験をしてみたかった。

そして、少しずつバイト代を貯め、
大学3年生の時に、ついに念願の留学に。

この経験が、その後の人生を決めるきっかけになった。

留学先で、某商社の若手研修生と出会ったのだ。

 

同じ大学の友達と一緒に、
現地の友人宅でのホームパーティーに遊びに行った時のこと。

若い日本人男性が2人、ビールを飲みながら談笑していた。

アメリカの大学を卒業して、
資源開発の仕事をしている入社4年目のTさん。

そして、
東南アジアで鉄道などのインフラ開発の
仕事をしている入社6年目のMさんだった。

「初めまして。日本人の学生さんいたんだね。
 ビール飲める?」

「あ、はい。ありがとうございます!」

生まれて初めて見る商社マンは、
なんだか余裕があってスマートだ。

お酒に強い現地人に「日本人はクレイジーだ」
と言わせるほど豪快にお酒を飲み、

まだ学び始めて半年とは思えない
見事な現地語でジョークを言って、
みんなを笑わせていた。

仕事の話も色々教えてくれた。

東南アジアのある国で、
高速鉄道の入札案件を担当し、
何ヶ月もチームで深夜まで準備を進めて、見事案件を受注したこと。

現地に出張して国営企業と条件交渉をしたり、
ファイナンスを組成するために
銀行や省庁と打ち合わせをしたこと。

現地での調印式で、すごく感慨深かった話。

 

まるで小説のようなダイナミックなビジネスの世界。

自分とそんなに歳の離れていない若手社員が
生き生きと仕事の話をする姿に、
あっという間に引き込まれた。

(こんな人が世の中にいるんだなあ・・なんてかっこいいんだろう。)

小中高に引き続き、大学に入ってからも、
私にとっての最大の関心事は、
自分に自信を付けることと経済的な自立だった。

商社に行けば、自分でバリバリ仕事をして
稼げるようになりそうだし、

この人たちのように自信があって
魅力的な人間になれるんじゃないか。

 

すっかり商社マンの世界に魅了された私は、
何としてでも商社で働くぞ、と意気込んで、
帰国後に就職活動を始めます。

「でも、どうすれば商社に入れるんだろう?」

調べてみたら、
どうやら学生が入りたい会社ランキングの上位に
ランクインする人気企業で、
倍率は100倍以上あるらしい。

「うわーまじか・・。100倍なんて、全く受かる気がしないんですけど・・」

相談できる大人もいないし、
友達に相談しても
参考になる答えは返ってこない。

 

そうこうしているうちに2月も半ばになり、
エントリーシートの提出期限が迫ってくると、
さすがに焦り始めた。

筆記試験は来月。面接開始は4月・・。

なのに、エントリーシートが
全く書けないという危機的状況だった。

「自己PRって一体何を書いたらいいんだああああ」

一応海外留学は行った。
体育会系の部活には入ってたけど、
留学行く時に辞めちゃったし、
取り立てて優秀な実績があるわけでもない。

特別優秀でも、リーダーシップがあるわけでもない。
ぶっちゃけどこにでもいる普通の学生だ。

 

そんな時、

すでに外資コンサルの内定を取得したクラスメイトが、就職予備校の話を教えてくれた。

「本気で商社行きたいなら、行ってみれば?

 自分の行きたい業界のOBに相談をしたり、
 エントリーシートの添削や面接の練習もできるよ。

 15万円だから、お金はそれなりにかかるけど。」

 

就職予備校の話は魅力的だった。

お先真っ暗だと思っていた未来に、一筋の希望の光が見えてきた。

 

しかし価格は15万円。

私の一ヶ月の収入は、
実家からの仕送り9万円と
カレー屋のバイト代4万円。

毎月銀行の預金残高をチェックしながら、
月末はもやし頼みの節約生活をしていた私に、
そんなお金はない。

またお金の壁だ。

 

一旦諦めようと思った。

(でも、待てよ?15万円で商社に入れるんだったら良くないか?)

(でも、お金はない・・。お金借りてみようかな?)

 

一瞬両親のことが頭によぎった。

が、高校時代のことを思い返すと、
100%無理なのは明らかだった。

(やっぱ借りるしかないな。でも借りれるのかな?私みたいな身分のない学生に。

そういえば、高田馬場を歩いていたら、左上の方に「学生ローン」って看板見かけたな。

闇金ウシジマ君みたいなの出てくるのかな・・。もし借りられなかったらどうなるんだろう・・)

とかなりビビっていて、
結局その日は考えるのが面倒臭くなり、
とりあえずカップラーメンを食べて寝た。

もう時間がなくて崖っぷちなのに、
本当にどうしようもない就活生だ。

 

翌朝。

寝癖を直し、ぼーっと歯を磨きながら、
また就活予備校のことを考える。

(学生ローン、とりあえず話聞きにいくだけならいいんじゃないか?)

新宿で山手線に乗り換え、
高田馬場の学ロンのビルの前まで来る。

 

でも、建物の前でビビってやっぱり帰る。

 

(いや、私は何をしてるんだ。とりあえず話聞きに行くって決めたじゃん)

と思い直し、また行く。

(今ここで頑張れなかったら、私一生変われないぞ・・!)

よし!と覚悟を決めて中に入り、
階段で3階に上がると、セロハンテープで
「学生ローン」という張り紙が貼られた事務所の扉が出てきた。

扉を開けてドキドキしながら中に入ると、
意外と優しそうなおじさんが座っていた。

 

「あの、15万円借りたいんですけど・・」

「はいはい、これ融資の説明書と契約書ね。

 利息はこれね。あなたは初めてだから年率20%。
 15万円だったら毎月3千円が利息ね。 
 あ、ハンコなければ母印で大丈夫よ。」

「えーと、お金はここに返しにこればいいんですか・・?」

と、色々聞いて、ビビりまくりながら、
生まれて初めてお金を借りた。

(うわーーお金借りちゃった!!意外とアッサリだったな。

 お母さんが知ったらひっくり返るだろうな・・

 でも、ちゃんとバイトして返せばいいんだから大丈夫!)

 

ドキドキしながら15万円の入った封筒を受け取って、
そのまま近くの銀行に行き、

ATMから就職予備校にお金を振り込んで、
今週の土曜日開始のコースに申し込んだ。

 

2月半ばの最後の開講コースにすべりこんだ私は、
この予備校で学んだことは死ぬ気で全て吸収した。

何度も添削を受けながら
エントリーシートを修正して、

集団面接の練習で撮影したビデオを
見直して改善点を書き出し、

何度も何度も話す練習をした。

「うっわ、私なんて自信なさそうな喋り方してるんだ。」

ビデオの中の自分にぶつぶつツッコミを入れながら、
真面目に一ヶ月の間に一生分くらい自己PRをしたと思う。

 

当時付き合っていた彼氏によれば、
夜中に寝ながらブツブツ自己PRをする
私の寝言で目が覚めたらしい。

寝ていても自己PRが言えるようになればこちらのものだ。

 

練習も兼ねて、商社より前に選考がスタートしていたエンジニアリングの会社を受けてみたら、まさかの内定が出てびびった。

「まじかーーーー!!!面接も普通に楽しかったし、意外といけるもんだね!」

そして商社の筆記試験もなんとか無事通過。

面接も一次、二次、三次、最終と生き残った会社が数社あり、その中から唯一内定をくれたのが前職の会社だった。

 

「年収1500万円の商社OL」
なんてブログタイトルには書いているけど、

学生時代は決して優秀なわけでもなく、
超ビビりの普通の就活生だった。

しかもこの後、
生まれて初めて学生ローンを借りて、
ビビりながら予備校に入り、
念願叶って入った会社を突如やめるという
暴挙に出たわけだけど。

 

商社時代〜憧れていた商社での仕事と、そこで直面した現実

 

入社式で発表された配属先は、
学生時代から憧れていた資源開発の仕事だった。

迎えにきてくれた担当指導員に連れられて、
初めて部署で挨拶をした時のことは今でも忘れない。

高層ビルの35階のオフィスからの眺めは最高だった。

(わあ〜!オフィスめっちゃきれい!)

部内の会議では、東南アジアや中東、南米など、
色々な国で進行中のプロジェクトの進捗報告が飛び交っている。

デスクを見回すと、
まわりの先輩社員たちは
英語や中国語で取引先と電話をしている。

興奮とワクワク感で、
全身からアドレナリンが吹き出しそうだった。

 

プロジェクトの契約書やファイナンス、
現地の税制、資源の開発方法や地層のこと、
商品市況や各国の需給バランス。

たくさんのことを夢中で学んだ。

 

11月には初めての出張で、
担当していたプロジェクトの鉱山を訪問。

生まれて初めて見る、360度地平線が広がる広大な世界。
ドキドキした。

地下600メートルの、真っ暗な坑道の中を
何台ものジープや重機が動き回る様子は圧巻で、
インディージョーンズの世界そのものだ。

 

最初は夢中になりました。

早く仕事ができるようになりたくて、
「土日も休日も不要!」と夢中で仕事をしていました。  

 

でも。。

だんだん仕事を覚えて、
社内のことが冷静に見れられるようになり、
海外駐在から帰国して本社勤務に戻ると、
会社での働き方に、少しずつ違和感を感じるようになっていました。

 

私はずっと「自信と経済的自立」を追い求めて生きてきた。

商社に入ればそれが手に入ると思っていた。

でも、違った。

金銭的自由だけ満たされても、幸せになれなかった。

時間的自由も、精神的自由も、身体的自由もなかった。

 

会社を辞めようと思ったきっかけは色々ある。

当たり前だけれど、
サラリーマンである以上、仕事は選べない。

どんなに仕事がつらくても、
つまらなくても、
働き続けなければ、当然お給料は出ない。

駐在から帰国した後、
異動になった新しい部署の仕事に
私はどうしても興味が持てなかった。

でも、仕事は仕事。

どんなにつまらなくても、納得感がなくても、
連日の深夜残業、休日出勤。
来週からの予定を全部キャンセルして出張。

仕事である以上、受け入れざるを得なかった。

 

私は自分の時間というのは、自分の命そのものだと思っている。

だから、お給料をもらうために、
興味の持てない仕事に、自分の時間のほぼ全てを
捧げ続ける生活が、苦痛で堪らなくなった。

日曜日の夜になると憂鬱すぎて頭が痛くなった。
会社に行くのが嫌で嫌でたまらない。
でも、できるだけ心を無にして満員電車に乗る。

そして、何とか今日も会社までたどり着く。

「何ワガママなこと言ってるんだ。
 みんな興味持てなくても給料もらうために
 色んなこと我慢して働いてるんだぞ。」

会社を辞めようと思うという話をした時、
私は叔父に大反対された。

「みんな我慢している。」

そうかもしれない。

でも、一度きりの人生を
我慢を重ねて生きていくことが
本当に良いことなんだろうか?

別の選択肢だってあるんじゃないか?

そういう思いが込み上げてきた。

 

あと、会社員をしている以上、
「時間的自由」はまず間違いなく得られない。

忙しい商社に入って、
それを痛いほど思い知った。

 

仲が良かった先輩は、子供が産まれた時
海外に単身赴任中だった。

「うちの子可愛いっしょ?笑
 でも産まれた時は駐在出てたから、
 成長する姿を見れなかったんだよね。
 
 帰国したらもう3歳になってて。
 やっぱちょっと寂しいよな〜」

 

同期の女の子は、
結婚と同時に自分の海外赴任が決まった。
新婚生活のはずが、2年間の別居生活になった。

旦那さんが他商社に務める女友達は、
実質母子家庭みたいなものだと言っていた。

「主人が帰宅するのは、いつも日付が変わってからだからね〜。
 出張も多いから、一緒に生活してるのにあまり顔合わせないのよね。」
 

こういうことは、日常茶飯事だった。

朝から晩まで仕事をして、
会社の指示があれば明日からでも出張。

生まれたばかりの子どもと奥さんを残しての
長期出張や単身赴任なんて当たり前。

もちろん生半可な気持ちで出来るような
生ぬるい仕事ではないし、
仕事が大事なことは間違いない。

でも、この働き方って
本当に本人や家族にとって幸せなことなのか?

 

少なくとも私は、
人生は仕事が全てではないと思っている。

家族や仲間との時間も大切にしたいし、
仕事も一生懸命やると同時に、
仕事以外のものも大切にしたい。

 

会社の良いところは、
個人では出来ないような
規模の大きな仕事が出来ること。

他人の資本を使って
ノーリスクで業務経験を積むことができること。

会社に行きさえすれば一定のお給料が保証されていること。

 

大手企業の福利厚生はすごく手厚いので、
恵まれていることは間違いない。

 

その代わり、お給料を得るためには、
労働力として自分の時間を提供しなければいけない。

1日のほとんどの時間は、会社の業務のために拘束される。

会社の指示があれば、
海外赴任や単身赴任にも応じなければいけないし、
一緒に働く上司や同僚、担当する業務内容は選べない。

 

「仕事が楽しい」という間は、これでも問題ないかもしれない。

 

でも、もし

「仕事内容が合わない」
「上司と合わなくてつらい」
「もっと家族や仕事以外の大切なものに時間を使いたい」

といった状況になったらどうだろう?

自分で稼ぐ力がなければ、
どんなに自分にとって不本意な状況であっても、
「食べていくための労働」に、甘んじるしかなくなってしまう。

長くなってしまうので、ここでは割愛するけれど
「食べていくための労働」は、個人的には
ものすごくしんどかった。

 

私が手に入れたものは、本当の意味での金銭的自由ではなかった

労働と引き換えの収入を手に入れても、
時間的自由、精神的自由、身体的自由は、ほぼなかった。

会社勤めが良いとか、独立して仕事をするのが良いとかいう問題ではなく、

「自分で稼ぐ力」を身につけてこそ、本当の意味での人生の自由が得られる。

 

自分の目指す生き方が、
今の仕事の延長線上にはないことがわかり、
先のことはまだ決まっていなかったけれど、
私は上司に退職することを告げました。

働き方や方向性は合わなかったけど、
私がお世話になった会社は、
本当に良い会社だったし、

素晴らしい人たちと出会えたこと、
貴重な経験を積ませてもらったことは、
心から感謝している。

いつか、お世話になった人たちに、
何らかの形で恩返しができるように力をつけることが、
今の一つの目標だ。

 

インターネットビジネスと師匠との出会い

 

私がネットビジネスに出会ったのは、
会社の最終出社日を終えて、
友達に誘われて経営者の集まりに遊びに行った時でした。

その時に、今の師匠に出会ったことで、人生が大きく変わりました。

 

若干25歳にして、年収3億円

ウェブ系の会社を3社経営していて、
しかも自動収入になっているから、
働かなくてもお金が減ることはない

20歳からビジネスを始めて、
働かなくても収入が増え続ける状態になり、

21歳でリタイヤして遊びまくったけど、
暇すぎて仕事を再開した

ウェブ以外の分野にも詳しく、
いろんな会社のコンサルをして売上を何倍にもしている。

一緒に来ていた友達も、普通に数千万〜数億稼いでいる人ばかり。

 

最初は、意味不明すぎて
話を聞いていても現実感がなかったです(笑)

25歳で若いんだけど、話すととても25歳とは思えない貫禄と知識量。

 

「労働していないのに年収数億なんて、
 本当にそんなことあるの?詐欺なんじゃないの?」

って思いました(笑)

「私が今まで毎日必死に働いてきたのは一体何だったんだ?」

とちょっと複雑な気持ちにもなった。

でも、その後何度か会っているうちに、
話せば話すほど尊敬できる人だったし、
ネットビジネスのことも段々分かってきた。

自分で稼ぐ力を身につけ、本当の意味で自立した自由な人生を手に入れるために、私がやるべきはネットビジネスだ!

と思い、師匠に頼み込んで、
ネットビジネスの世界に飛び込むことにしました。

 

2019年の1月から、私はビジネスを始めました。

ブログでの情報発信を始めて、
最初の1ヶ月半で5万円を稼ぐことができました。

さらにビジネスを学んで2ヶ月で、
飲食店や化粧品会社などの、
オフラインビジネスの
コンサルティングができるようになりました。

 

自分でもびっくりしたし、まわりの知り合いにも驚かれました。

「今までと全然違う業界なのに、よく仕事ができたね」と。

私もやってみて驚いたのですが、

ちゃんと知識を学んでいると、
いろんなビジネスを見た時に、
「どこをどう直せば売上が上がるか」が、
ちゃんと分かるようになっている
んです。

世の中の見え方が変わって、衝撃を受けました。

「知識ってすごい・・」

今まで、ビジネスには才能やセンスが
少なからず必要なんだろうと思っていました。

そんなものは必要ない。ちゃんと正しい知識を身につけて、思考を鍛えれば、誰にでもできる。

師匠にそう言われて、学んで、実践して、学んで、実践しての繰り返し。

 

学べば学ぶほど、いろんなビジネスを見た時に、より的確な提案が出来るようになる。

その結果、お客さんに喜んでもらえて、収益につながる。

自分で価値を生み出して、お金を稼ぐ。この感覚が楽しくて仕方なくなりました

これによって、本当の意味での自信も持てるようになった。

ビジネスを始めてから、
これまでの常識を変えるような人たちと
たくさん出会ってきました。

 

月収1500万円の大学生とか、
月収400万円のアパレル事業の社長とか、

しかもみんなウェブの力を使って
上手く仕組み化しているので、

自分で労働することなく、
人に価値提供をして収益を生み出しているんです。

しかも、その現状に満足することなく、
常に上を上を目指して勉強、実践している。

決してもともと優秀だったわけではなく、
一年前は、仕事が出来なさすぎて上司のパワハラに遭い、
仕事を辞めたと言っているような人もたくさんいます。

お金持ちの価値観や、知識、思考を手に入れると、こうも人生変わるのか

と人生に希望が湧いてきました。

 

あまりにもすごい人たちが多すぎて、
今までの自分のプライドなんてどうでも良くなりました。

 

「仕組みを作れば年収3000万円くらいはすぐに到達するよ。」

と言われて、

「ええー!そういうもんなの?」

と驚きながらも、それに向けて一つ一つ積み重ねていく過程が、最高に面白い。

とにかく、学んで、実践して、また学んで、の繰り返しです。

こんな感じで、今の私の毎日は、とても刺激的で面白いです。

学んだことが確実に価値になっていく感覚も楽しいし、仕事もプライベートも充実していきます。

これからもどんどん学んで、面白いビジネスを作れるようにパワーアップしていきたいです。

—–ゆいの物語終わり———

あらためて、ブログのコンセプトおさらい

 

私のブログでは、

豊かで楽しい人生を作っていくために必要な、

「金銭的自由」
「時間的自由」
「身体的自由」
「精神的自由」

の4つの考え方をベースにして読んでもらえると、
読みやすいのではないかと思います。

時々、

「ゆいさんは元々頭が良かったんじゃないの?」
と言われることがあります。

だから結果が出せたんじゃないの?と。

でも、そんなことは全くありません。

ここまでお話してきた通り、
私は子供の頃からコツを掴むのが苦手で、
苦手なことだらけだったし

子供の頃から
他の人が当たり前にできることができなくて、
コンプレックスの塊でした。

でも、今わかるのは、

ただただ闇雲に努力をしても結果は出ないけど、
ちゃんと正しい知識を学んでやれば、
結果はついてくる、

ということ。

昔の自分は、正しい知識を知らなかったから
結果が出なかったんだ、
ということも今ならわかります。

インターネットビジネスの知識もゼロでした。

でも、人間は変われる。

ちょっとしたきっかけと正しい知識があれば、
人生はどんどん面白くなる

 

日本人は、
幼少の頃からビジネスを学ばないから
やり方を知らないだけで、

日本人の理解力や知識レベルで言えば、
本来わからないわけはないんです。

学べば学ぶほど、お金は増えるし、
結果的に時間も自由になる。
そして、また学べる。

私のメルマガでは、

「金銭的自由」
「時間的自由」
「精神的自由」
「身体的自由」

の4つの自由度を上げ、
本当の意味で自立した
豊かな人生を作っていくための
具体的な話を発信しています。

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初めてビジネスの師匠に出会った時のことと、ネットビジネスを始めるまでの物語

年収1500万円の会社を辞めようと思った12の理由。

 

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2 件のコメント

  • […] ゆいさんはご自身のブログでも、「要領がわるかった」というエピソードを語られていますが、だからこそ同じようにつまずくポイントが分かる、ということを強みに変えられています […]

  • zoom懇親会で明らかになった、起業家ゆいさんのマーケター視点 | 引きこもりが昼夜労働の果てにインターネットで起業してクリエイティブに生きる物語 へ返信する コメントをキャンセル

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